<   2013年 08月 ( 15 )   > この月の画像一覧

蕪村のオノマトペ

蕪村のオノマトペ

過日 本屋の前を通りがかったら 平積みの中に〝オノマトペと詩歌のすてきな関係〟という文字が眼に入った。本の片隅に NHKカルチャーラジオとある。パラパラとめくって即決 買うと決めた。ラジオ第二放送 20131年7月~9月のテキストである。(著者 小野正弘氏)

芭蕉、蕪村、一茶のオノマトペとあるところ、蕪村のそれまで来たとき ハタと膝を打つところに出会った。その一節を以下に挙げておこう。皆さんも完爾と膝を打つこと必至であろう。

●遠近(をちこち)ををちこちと打つ砧(きぬた)かな

「をちこち」は「あちこち」の古い言いかたで、「砧」は木槌で布を打って柔らかくすることである。句の意味自体は、あちらこちらで砧を打つ音が、聞こえてくる、というものであり、これもまた、難解なものではない。しかし、「をちこち」は、ただ単に場所を表しているわけではなさそうである。『蕪村集 一茶集』の、頭注には、「遠近」に、「距離と同時に遠く近く聞こえる砧の音の響きをあらわす」とあり、この見解に従いたいと思う。つまり、「をちこちをちこち」は繰り返し聞こえてくる、砧の音を表すオノマトペでもあったのである。「をちこち」は、現代の感覚だと、「こつこつ」とか「かつかつ」という感じであろうか。しかし、遠いところと、近いところの音があるから、音は均一でない。遠いところから聞こえる音は「をち」、近いところから聞こえる音は「こち」ということなのだろう。

それで思い起こされるのは、同じ蕪村の

●梅咲きぬどれがむめやらうめじゃやら

という句である。

春になって梅が咲いた。「梅」は、平仮名だと、「うめ」とも「むめ」とも書くが、あの梅のどれが「うめ」で、どれが「むめ」なのだろうという句である。蕪村の時代では、「梅」の平仮名表記は、ゆれていたのである。想像してほしい。目の前には、梅の花が咲いているはずなのだが、その一つ一つの花をよく見てみると、花ではなくて文字のように見える。もっと目を近づけてみると、それは、小さく、てんでんばらばらに書いてある。「うめ」という字と、「むめ」という字であった、という情景を。ちょっと超現実的で、漫画のような情景かもしれないが、なんとなくユーモラスでもある。そして、また、もう一つ想像してほしい。目の前の家々から、砧を打つ音があがっているのだが、その音が文字になって空へのぼってゆく。その文字を見ると、近くのほうの音が「こち」で、遠くのほうが「をち」である、という情景を。まるで漫画のようだと、前に書いたが、超現実的な絵といってもよい。ここで思ひ出してほしいのは、蕪村は、もともと画家が本業であったことである。蕪村には、目の前の情景が、文字付きで描かれた絵に見えるのではないか、とさえ思う。

序でに。

さて上記の蕪村句を見てという訳ではないが、さる時、〝~やら~やら〟という宜しき日本語の形を見て、いつかこれを使った句を作ってみようと思ったことがある。これを読んでいる皆さんもいつか~やら~やらを試行されてみては如何ですか?

~やら~やら の使用例 (検索DB より)

玄関に靴やら下駄やら三河万歳 星野昌彦
鳥はらはらどれが目白やら頬赤やら 色鳥 正岡子規
小石やら雨やら野分顔を撲つ 野分 正岡子規
男やら女やら更に朧かな 朧 正岡子規
威し銃なに逃ぐるやら逃げぬやら 横澤放川
稲刈を見ゆる鴉や雀やら 西村富子

小生の使用例

皺くちゃ婆貝を剥くやら蝿追ふやら 高澤良一 素抱
春の潮上げてゐるやら引いてゐるやら 高澤良一 素抱
にぎにぎしく熊手鯛やら小判やら 高澤良一 燕音
掘り返して団子虫やら蚯蚓やら 高澤良一 さざなみやつこ
のうぜん花どうやらかうやら風が出て 高澤良一 寒暑
合歓の花一雨あるやらあらぬやら 高澤良一 寒暑

おっと以下は似ているが違う用法

蟹のいふ事情とやらを聞きやらむ 高澤良一 燕音


以上
by 575fudemakase | 2013-08-30 09:08 | Trackback | Comments(0)

旅鞄

旅鞄

遠藤若狭男 第五句集 角川書店 2013年8月25日

ご恵贈 深謝。

この句集の情景を一言で云ふなら、癌を告知された人の自己内省と
その幽明界に漂う著者の切実感に粛然とする。
句の巧拙のかなたに、今言って置かねばならぬものとして俳句を提
示する作者に、自分を重ね合わせて読みたい。

赤帯の岩波文庫読始
亀の鳴く池かも知れず座して待つ
春の灯をともして何をするでなし

面と向かへばたぢろいで羽抜鶏
城で持つ尾張名古屋の暑さかな
赤とんぼとまらせてゐる父の墓

鐘鳴りて京都百万遍の秋
西行をすこし羨む紅葉山
古書店に自著を見つけし十二月

傘をはばたかせて傘の雪払ふ
空青すぎて雪降らす信濃口
雪の夜や妻と親しむアップルパイ

途中下車して末黒野を見に行かむ
うららかに八十歳と九十歳
四つ葉のクローバーいとしげに摘みて妻

母を思へばたんぽぽが絮とばす
とらへられたげにおはぐろとんぼかな
パトカーのとまれば駆けて羽抜鶏

抗癌剤のんでくらみて我鬼忌かな
隣人に見られつつ焼く毛虫かな
蟷螂のかぶきものめき石の上

風格は石にもありて蛇笏の忌
がちゃがちゃのがちゃがちゃと死を免れず
おのが身を削る声あげきりぎりす

飛鳥大仏に穂を垂れ稲の秋
初夢にまさかの種田山頭火
蛇の名をもちて珠玉の苺かな

さびしさのゆゑにおどけて桜桃忌
あはれあはれ草かげろふの妊れる
笑ふごとくに搖れだして小判草

太平洋戦争末期の本に黴
太陽にうねり返して麦の秋
大いなる夏の果てにし東尋坊

わがいのちはしけやしとて花野ゆく
ほほづきのひときは赤き仏間かな
先生の家の鈴虫しぐれかな

放屁虫生きんがための屁を放つ
この世をば歎くまじとて吾亦紅
秋暮れて寂連法師なつかしむ

三四郎池に瞑想寒がらす
雪の夜の飛ばしてみたき千羽鶴
癌封じには一番と初落語

触れてみたきと慾の出てお開帳
海を見に春の若狭へ帰りたし
不死男忌の夏大根の辛さかな

都の西北と歌ひだし油蝉
病めばこそどんぐりころころいとほしや
雑司が谷霊園よりの虫しぐれ

鰭酒にやがて舟漕ぐひとりかな
ふるさとやさくらさくらと散るさくら
ががんぼのごとき人こそ友とせむ

東京にあくがれし日の矢車草
あぢさゐのもたらす冷えを詩といはむ
青蛙見つめゐし眼に見つめらる

大津波あとに涙す踊子草
人死ねば忘れられゆく著莪の花
草茂り放題なれど人ぞ住む

蓼科の夏をよろこぶものに風
信濃炎天一本道の白さかな
落蝉をつまめばせつなはばたける

誰待つでなくうち笑みて女郎花
秋風にいざ逢はめやも堀辰雄
老人性鬱とつきあふ夜長かな

葛咲いてわがこころにも嵐あり
出口ありやと歩きだす真葛原
汝は老人性鬱なりや炬燵猫

河豚食うて洒落のひとつも言ひなされ
もう飲めぬ飲めぬと注がせ一茶の忌
わが銀座四丁目にて大くさめ

早稲田大学正門に雪達磨
早稲田大学裏門に雪女郎
酔ひどれの天使毒づくクリスマス

以上
by 575fudemakase | 2013-08-28 05:03 | Trackback | Comments(0)

百句百話

百句百話

中原道夫 ふらんす堂 2013年8月1日

今回もまた中原大人から掲書ご恵贈いただいていたが全編に一通り
目を通してからと、だいぶ感想が遅れてしまった。

〝句と自解〟の均衡のとれた一句一解を二,三挙げさせてもらってお礼
とさせてもらいたい。即ち 著者の〝聞かせどころ〟の極上を再掲
して、御礼とさせてもらいたいという寸法であります。

●火鉢には降りねど鶴の脚二本 歴草

子供のころ我が家にあった染付の大きな火鉢は何處へ行ったのだろう。
所在も聞かぬまま、父は逝ってしまい、母に尋ねても興味がなかった
のか知らないという。(中略)
その一抱えもある(子供の時だから特に大きく感じたのだろう)呉須
の淡い色で描かれた意匠は山水を背景にした筏乗りで、長々と火鉢の
胴の回りを一周するように描かれていた。子供心ながら、筏の始まり
と終りの部分が同一画面にある不思議さに酔い痴れていたものだ。
そして火鉢の中にはいつも鶴の形をした火箸が一対で差してあった。
細い鶴の脚がそのまま大地を歩いているような見立てが、何とも楽し
くて、火弄(いじ)りをしたのだった。(後略)

●みまさかのぶだうひとふささまよかり 緑廊

(前略)
掲句は少し時間が経って、〝美作〟の言葉の韻に因って〝葡萄〟の方
が呼び出されて一句に成った。みまさか、さか、ふさ、さま、という
ような、反転した音の連なりがあたかも葡萄の一房のように、下から
下へぶら下がってゆき形になったと記憶する。言葉が一粒ずつ重力に
逆らわずに、という感じ。葡萄の糖度もそんな風に先端に降りてゆく
のだとか。(後略)

●ただいまと帰るところを春の家 巴芹

私にはここで言う春の家はない。今住んでいる稲毛の家ではなく、実
家、岩室にある家のことだ。父の死後ずっと母は一人で住んでいたが、
昨年の十一月、厨で転倒骨折して隣町の病院に入院して以来、誰も住
んでいない。それまでは軽い脳梗塞で顔面、殊に唇が痺れるとか腰痛
で介護認定1,を戴いていたのだが、それでも慣れた一人暮らしがい
いらしく、ディケアの人が来る日が近付くと、掃除をしてしまう几帳
面タイプであった。(中略)
先日病院を訪ねたら昼時でカレーの匂いがしていた。「今日はカレー?」
と言うと「別のものに替えて貰った」と澄ましている。この人は一生カ
レーを食べないつもりなのだ。そしてその日は、珍しく〝家〟に帰ろう
と言わなかった。

●腰痛はお腰のなかや松とれて 歴草

モデルは彼の鈴木真砂女さん。晩年の真砂女さんの悩みは腰痛であった。
(中略)
房州鴨川の生まれなのに、魚より血の滴るようなステーキが好み。「私
ね、丙午(ひのえうま)だから男を食い殺すんだって。でももう男より
上等な肉の方がいいわねぇ」なんて言ってのける茶目っ気があった。
鈴木真砂女さんは結構おっちょこちょいな処があって、常連の人達で作
った「卯波会」の一泊旅行でも転倒や、捻挫をすることも度々、そんな
捻挫が治ったかと思うと自宅で電気コードに足を引っ掛けて転び、額を
切ったとか、怪我と話題の尽きない人だった。そして仕舞に、電源が入
ったままのコードを長過ぎると、裁ち鋏で切った・・・と。聞いた連中
は慌てふためいたものだが、しかし本人は「驚いたねぇ、バチンと星が
飛ぶんだから・・・」とケロリ。死ぬまで怖いもの知らずの人であった。

●明易し灘の名かはるあたりにて 顱頂

この句 能村登四郎存命の頃の旅先吟行での飲み過ぎた末の苦吟であったとは。
そこら辺の事情は以下の自解に詳らか。

(前略)
隣の研三さんは、作ってから寝たのか大鼾をかいている。出来ないときという
のは本当に出来ないもので、そうこうしているうちに外が白みかけて来ている。
窓からの眺望でハタと気付き地図を見る。何とホテルは周防灘が海峡で狭めら
れ、響灘へと繋がっていく要所に位置していたのだった。

もう一つこの句 小生の属した 俳句結社〝濱〟などではその句柄からして好まれた
ように思う。品格が第一の句だ。


以上
by 575fudemakase | 2013-08-22 10:42 | Trackback | Comments(0)

書籍文化の未来

書籍文化の未来

電子本か印刷本か?
此処に書籍文化の未来についての簡潔にして明快な一文がある。
その中から 印刷本と電子本の対決か共存かの部位を引用する。
胸がすかっとする位明快である。

書籍文化の未来(PDF)

(書籍文化の未来 赤木昭夫 岩波書店)

以上
by 575fudemakase | 2013-08-19 10:02 | Trackback | Comments(0)

幽霊

幽霊

今夏は暑さ凌ぎに 東京の美術館を巡った。先づ手始めに以下の三館。

①谷文晁展 サントリー美術館
②アンドレアス・グルスキー展 国立新美術館
③アメリカン・ポップ・アート展 国立新美術館

次いで 暑さ凌ぎに格好な 「妖怪展」三館。①②と巡ったが③は未だ。

①大妖怪展 三井記念美術館
②「日本の『妖怪』を追え!」展 横須賀美術館
③題名 失念?  横浜 そごう

さて 幽霊が季語であるか?よくは知らないが、仄聞するところ、一部の歳時記では季語
扱いされているものもあるという。
早速 小生の検索DBより以下の関連語を基に検索してみたら 下記の通りとなった。

□幽霊 妖怪の関連語

百物語 お化け 幽霊 お岩さん 化け猫 一つ目小僧
ろくろく首 異形 異界 鬼神 妖怪 天狗 河童 芋銭 百鬼夜行
黒塚 怪談・・・・・など


●幽霊
いなづまや舟幽霊の呼ふ声 炭 太祇 太祇句選
おば捨や幽霊に逢ふ今宵の月 如流 選集「板東太郎」
ここ迄が咄のさはり幽霊譚 高澤良一 寒暑
すと現れて幽霊面を受け継ぐ子 高澤良一 ぱらりとせ
ふらふらと幽霊図立つ円朝忌 岡田貞峰
もみづれる寺に預かる幽霊図 高澤良一 宿好
コカコーラ持つて幽霊見物に 宇多喜代子(1935-)
亡霊と幽霊血液型ちがふ 波多洋子
人の息かかり幽霊蜘蛛動く 堀井英子
六道参り幽霊飴をしやぶりけり 青柳雅子
円朝の幽霊画幅お風入れ 越桐三枝子
冷まじや幽霊の哭く薪能 関口ふさの
冷房の前後左右は幽霊図 松山足羽
出しものは船幽霊や盆芝居 平谷破葉
壁抜けて幽霊はもう死ねぬなり 桑原三郎
寺宝なる幽霊両幅を虫干す 北野民夫
川に無数の幽霊の手や原爆忌 田川飛旅子 花文字
幽霊が出て来て蚊帳を吊れと言ふ 矢代克康
幽霊が出る城 尖塔への闇の濃淡 伊丹公子 アーギライト
幽霊が出る理科室も夏休 三村純也
幽霊となるまで芒立つ気かな 相原左義長
幽霊にあまた聞きたい時間がない 玉乃井 明
幽霊になかなか遇はず夏館 桑原三郎 晝夜 以後
幽霊になつてゐるとは気付かざる まついひろこ
幽霊に撥あらたまる下座囃子 青山登久子
幽霊に水呑ませたか鉢たたき 智月 俳諧撰集玉藻集
幽霊に見えよ網代の痩男 浜田酒堂
幽霊のあそび所や花卯木 山店 芭蕉庵小文庫
幽霊のみな美しき絵灯篭 小島左京
幽霊のよく出た庭よりカンナ咲く 五島高資
幽霊の世間をしんとさすかたさ 門屋和子
幽霊の出てハムレット明易し 都筑智子
幽霊の出るてふあたり昼涼し 涼し 正岡子規
幽霊の出るといふなる柳かな 柳 正岡子規
幽霊の出る井戸涸れて雲の峯 雲の峯 正岡子規
幽霊の出る町あたり昼涼し 涼し 正岡子規
幽霊の出所はあり薄原 上島鬼貫
幽霊の出番はなはだしく狂ふ 中原道夫
幽霊の基礎平面がチェロである 夏石番矢 人体オペラ
幽霊の手の下げどころ夏芝居 高田好子
幽霊の指に力のありにけり 相原澄江
幽霊の立ち寄りさうな泉かな 東野鷹志
幽霊の足取りここに来て不明 中原道夫
幽霊の軸を寺宝に雨月かな 佐藤俊子 『雪の本丸』
幽霊みえて白ねぎが煮えている 松本恭子 二つのレモン 以後
幽霊も一人二人と数うべき 宇多喜代子 象
幽霊も鬱なるか傘さして立つ 高柳重信
幽霊ノ如キ東寺ヤ朧月 朧月 正岡子規
幽霊一匹つかまえられなくって ところてん 松本恭子 世紀末の竟宴 テーマによる競詠集
幽霊図大方をんなお風入れ 和気久良子(春嶺)
幽霊図巻けば棒なり秋の昼 鳥居真里子
幽霊図遠巻きにして十夜寺 小島美恵子
幽霊茸修験の杖の一打かな 長谷川櫂 蓬莱
幽霊茸引けば黒々土掴む 鈴木貞雄(若葉)
幽霊草くたびれ易きこころの灯 佐怒賀正美
幽霊草人目に付いてしまひけり 西村しげ子(雨月)
幽霊草蝋涙凝りし花を垂れ 若木一朗
幽霊蜘蛛影のごとくに脚つかふ 大橋敦子
揺るる/大海彦の/幽霊物質 林桂 銀の蝉
揺れてゐる幽霊花は嫌ひなり 稲葉南海子
日当たれば溶けさうな白幽霊草 山田弘子 懐
春や達治幽霊坂をのぼりくる 大屋達治 絵詞
春光覗けば幽霊たまたま肩おとす 平井さち子 完流
東北やむかし出会ひし子持ち幽霊 高柳重信
松の花幽霊はまだ毛穴にゐる 金子晉
桜影かなし世の風美女が幽霊か 井原西鶴
淋しい幽霊いくつも壁を抜けるなり 高柳重信
白日傘幽霊坂に消えにけり 中原道夫
白萩に幽霊の絵を売る男 鈴木鷹夫 春の門
短夜の幽霊多き墓場かな 短夜 正岡子規
短夜や幽霊消えて鶏の声 短夜 正岡子規
短日や幽霊蜘蛛を恋人に 高野ムツオ 雲雀の血
秋の蚊の幽霊じみて足の方 高澤良一 暮津
苗札の幽霊草の嫌はるる 後藤比奈夫
雁わたり幽霊の絵を掛けながす 下村槐太 天涯
雨の日の障子明りに幽霊図 高澤良一 宿好
頭ある憂さにんげんに幽霊に 原 徹

●妖怪
中国に妖怪多し夕牡丹 有馬朗人 耳順
妖怪の親玉何故か女郎蜘蛛 高澤良一 暮津
妖怪日や夢に泣く児の背さする 前田貴美子
妖怪火の爆竹の弾づ石敢当 大城幸子
島の妖怪名もない草と遊んでいる 本田ひとみ
日の永く一つ目妖怪囲碁打図 高澤良一 燕音
爆竹を妻が買ひ来る妖怪日 城間捨石
緑さす鴻山妖怪財布かな 高澤良一 燕音
長き夜を読ませる宵曲妖怪譚 高澤良一 鳩信

●お化け
お化け小屋呼び込み男の甚平着 高澤良一 寒暑
お化け屋敷呼び込み婆の簡単服(アッパッパ) 加藤晴美
お化け柳くぐって 聖夜劇のかえり 伊丹公子 メキシコ貝
お化け煙突冬日を赤児のごと抱けり 磯貝碧蹄館 握手
お化け用シッカロールも嚢中に 樋笠文
天上天下お化け屋敷の出入口 宮崎二健
洞爺村お化け南瓜の遠しるべ 山口すえ子
称名寺裏山お化け八重葎 高澤良一 石鏡
葉の蔭で胡瓜お化けとなりゐたり 北嶋 薫

●百物語
今も髪伸びている百物語 二村典子
夕立後や百物語聞きに行く 野村喜舟 小石川
戸袋のからつぽの百物語 正木ゆう子
百物語つきて鏡に顔あまた 柿本多映
百物語はまはしで野郎頭になべかま乗せて 加藤郁乎
百物語九十九までの夜番の拆 後藤綾子
百物語舞台に椅子のひとつだけ 小田允夜
短夜や百物語らちもなし 野村喜舟 小石川
春の夜や百物語升落し 春の夜 正岡子規

●異形 異界
一本の巨樹の異形の枯れつくす 三谷昭 獣身
冷まじや異界より現れ太鼓打つ 稲岡 長
名護湾は異界かと聞く鯨いて 岸本マチ子
塔頂に競うて揚羽異界より 和田悟朗 法隆寺伝承
夕紅葉異形のさまに濃かりけり 行方克己 昆虫記
時雨るる碑異形字何を訴ふる 下村ひろし 西陲集
朝寒の宅急便は異界より 池宮照子
水たまりあいたいひとはみな異形 伊藤利恵
湯にうごく異形のものも朧かな 宇多喜代子
異界にて二百二十日の声洩らす 栗林千津
異界よりしだれて夜のさくらかな 木内彰志
神、異形に坐す峠村字峠 坂戸淳夫
蚊帳くぐり異界おそれし幼年期 吉本和子
蝉しぐれ今日も異界に目覚めけり 川上義則
裏山のつづきの異界花すすき 糸山由紀子
遠景はすでに異界や山ざくら 糸山由紀子
青栗や異形の笑みの鉈仏 中村明子
高麗の國に異形の山や秋の風 内田百間

●鬼神
俳諧を鬼神にかへす朧かな 前田普羅
名月や朱雀の鬼神たえて出ず 高井几董
枯れ果てて鬼神は枯れず岩に立つ 加藤知世子 花寂び
風に騎り鬼神のごとく喜雨来る 河野静雲 閻魔
鬼神とも無我ともなれず櫨紅葉 赤尾恵以
鬼神はあるまじき世の牡丹哉 牡丹 正岡子規
あらそひて破魔矢を拾ふ鬼神祭 岡崎泊葉子
ねぶた来る夜空を掴む鬼神の手 大森[テイ]史
名月や朱雀の鬼神たえて出ず 几董
北雲に鬼神あるべし初山河 藤田湘子 てんてん
涅槃図に天人鬼神なくもがな 後藤比奈夫 めんない千鳥
鬼神とも無我ともなれず櫨紅葉 赤尾恵以

●一つ目小僧
羽目板のひとつ目小僧春永し 柿本多映

●ろくろく首
ろくろ首にて夕霧をかきまわす 江里昭彦 ロマンチック・ラブ・イデオ口ギー

●天狗
うたた寝の天狗を投げてさめにけり 中勘助
これより木曽路真うしろから天狗 遠藤 煌
ばさと落ち天狗の団扇めく落葉 高澤良一 燕音
ほとゝぎす天狗の礫ゆるせかし 高井几董
わが藪の天狗の鼻をかけ初日 山口青邨
万緑や天狗棲むには山低き 石山佇牛
乙学忌や天狗岩より風花す 大信田梢月
今白岳双峰赤天狗青天狗 福田蓼汀 秋風挽歌
他家の熟柿よ天狗の面を子に買はむ 磯貝碧蹄館 握手
先祓い「天狗」ぐらつくこと幾たび 高澤良一 燕音
冬枯に天狗の下駄を蔵す寺 山田弘子 こぶし坂以後
凧揚げて天狗をたのむ童かな 正岡子規
凩や天狗が築く一夜塔 泉鏡花
初寅や天狗歩きし山歩く 畑伝一郎
初詣秋葉天狗の赤電車 百合山羽公
口切や花月さそふて大天狗 炭 太祇 太祇句選
古峯ケ原天狗の翔けて初山河 文挾夫佐恵
句もあらば天狗も申せ月の庭 幸田露伴 江東集
喜びの心の隙間天狗茸 根岸敏三
夏安居や杉谿ふかき天狗寺 芋川幸子
夏野行ク人や天狗ノ面ヲ負フ 夏野 正岡子規
大山の天狗が撒きし花粉症 野上貞勝
大楠に天狗憩ふと新ばしり 中山多美枝
天上大風天狗牛若まなぐ凧 文挟夫佐恵 雨 月
天狗住ンデ斧入ラシメズ木ノ茂リ 茂 正岡子規
天狗倒しか/屋久杉か/鹿鳴く闇か/情交か 林桂 黄昏の薔薇 抄
天狗党越えたる山も眠りをり 梅原昭男
天狗岩百丈岩も囀れり 細川加賀 生身魂
天狗岳攀る一列灼け灼けて 日野あや子
天狗棲む山や雲つく高笑 巌谷小波
天狗泣き天狗笑ふや秋の風 秋風 正岡子規
天狗茸人らは山を汚しに行く 小泉八重子
天狗茸蹴とばし体罰賛成派 川村紫陽
天狗蛾が飛べり羽黒の闇を出て 茨木和生 往馬
天狗谷古窯埋もれて春めぐる 大島民郎
天狗面懸かる飲み屋の泥鰌鍋 上野林泉(風港)
天狗風のこらず鳶の葉裏哉 蕪村遺稿 秋
天狗風落葉一片天へ飛ぶ 品川鈴子
威銃奥は天狗の山ばかり 百合山羽公
小天狗に誘はれ顔や順の峰 野村喜舟
小天狗の前に息つく熱さかな 暑 正岡子規
小天狗の忘れしかくれみのは実に 嶋田麻紀
山泊り天狗と私だけの明度 山中葛子
山百合に雹を降らすは天狗かな 渡辺水巴 白日
岩を攀ぢ立つ涼風の天狗岳 岡田日郎
常宿に天狗集ひて鮎解禁 金子正次
幕あがるごとき風音天狗茸 中戸川朝人 星辰
幽谷へ蝉しぶり鳴く天狗堂 水沼三郎
御宝壙掘るは天狗や時鳥 野村喜舟 小石川
恐るべし天狗の山の杉花粉 河野友人
日陰りて張子天狗の凍みつ鼻 高澤良一 さざなみやつこ
春の夜を皆酔臥しぬ天狗ども 石井露月
暖かく天狗の麦飯抓みける 矢島渚男 延年
月の僧天狗を呼べと手を打たれ 茨木和生 丹生
木枯や天狗酒飲む*がうの上 幸田露伴 竹芝集
松例祭闇に羽黒の天狗翔ぶ 高木金男
梢風に侍す天狗杉青葉木兎 百合山羽公 寒雁
水とりや杉の梢の天狗星 正岡子規
水引草天狗の寺が鐘を撞く 細川加賀 生身魂
炉も廃れ天狗話も継ぎ手なし 藤田湘子 てんてん
烏瓜からす天狗が好物の 高澤良一 燕音
短日の筑波山の闇は天狗闇 工藤眞智子
神無月天狗に手紙書きし者 有馬朗人 耳順
祭の月夜子の手に青い天狗の面 栗林一石路
秋の山御幸寺と申し天狗住む 秋の山 正岡子規
秋の水澄みぬ天狗の影もなし 秋の水 正岡子規
秋寒き天狗笑ひに坊更くる 上田五千石
紅葉山鬼も天狗もをりにけり 高橋将夫
羽を打つて小天狗どもの踊かな 踊 正岡子規
羽打つて小天狗どもの踊哉 踊 正岡子規
背ニ負ヘル天狗ノ面ヤ木下闇 木下闇 正岡子規
荒瀬うつ崖の上なる天狗茸 杉本文彦
蜥蜴出づ天狗下駄干す神宮寺 武田孝子
送水会堂に揃へし天狗下駄 石川義介
里神楽てらてら赤き天狗面 大橋敦子 匂玉
鍵をかけ忘れていたり天狗茸 五島高資
雲海に渦あり天狗岳に佇つ 渡部抱朴子
青葉風天狗の眼吹き抜けて 山崎千枝子
面掛の「天狗」の高下駄のっしのし 高澤良一 燕音
面掛行列ひょうと「天狗」の先祓い 高澤良一 燕音
韋駄天をまつれる堂に天狗茸 詫摩まつ子 『卒寿』
鮎の瀬の音の暮れゆく天狗岩 犬飼孝昌
麻糸も繭も結願天狗堂 西本一都 景色

●百鬼夜行
すててこや百鬼夜行のしんがりの 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
光起が百鬼夜行く野分哉 野分 正岡子規
古寺や百鬼夜行の霜のあと 霜 正岡子規
夜寒さや百鬼夜行の絵巻物 寺田寅彦
曉齋の百鬼夜行図おお涼し 高澤良一 寒暑
月の寺百鬼夜行図など蔵す 黒田杏子 花下草上
花嫁に百鬼夜行のまんじゆしやげ 加藤かけい
虎落笛百鬼夜行を旨とせり 柴田奈美
雪折れは百鬼夜行の跡ならむ 松尾龍之介

●芋銭
からす瓜芋銭旧居へみち細り 金丸鐵蕉
夏料理壁に芋銭の河童掛け 川村紫陽
夏書して芋銭の文字にあそびけり 榎本好宏「四序」
梅雨湿り芋銭の河童百図かな 高澤良一 素抱
涸沼の風粛々と芋銭の忌 間宮一牛
炬燵して芋銭の狐隊行圖 高澤良一 ももすずめ
笹鳴や芋銭旧居の大硯 綱川恵子
筆ささと芋銭のスケッチ秋の生りもの 高澤良一 石鏡
芋銭の河童父の河童と曼珠沙華 金子皆子
芋銭の碑夜は狐火と踊らむか 久保羯鼓
芋銭子の鮒に泥鰌に水温む 斎田鳳子
芋銭忌の丹波にもある一座かな 野村泊月
芋銭河童に踵のありて彼岸西風 神蔵 器
蓬莱の芋銭の一書掛け句会 佐藤 欽子
蓴菜に酒汲みにけり芋銭の忌 弦巻淑子
鯰捕芋銭旧居の人なりし 黒米松青子

●黒塚
ほうろくや黒塚に見し鬼の豆 井原西鶴
動け黒塚青い蜥蜴が密着して 河野多希女
稲積みのもしや狸の化け損ね(観世寺黒塚) 高澤良一 石鏡
藷殻の黒塚群れてわれを待つ 西東三鬼
黒塚の大岩舐める秋の蝉 棚山波朗
黒塚の月と遊べり雪女郎 櫛原希伊子
黒塚の老杉雷を呼ぶごとし 石原八束
黒塚の道に乱れる野紺菊 平野みさ
黒塚の雪折れ杉のばさら髪 きくちつねこ
黒塚やつぼね女のわく火鉢 言水
黒塚や人の毛を編む雪帽子 芥川龍之介 我鬼窟句抄
黒塚や傘にむらがる夏の蜂 夏の蜂 正岡子規
黒塚や葛うらがへる風の出て 藤田あけ烏
黒塚や蚋旅人を追ひまはる 暁台「暁台句集」
黒塚や赤子の腕の風呂吹を 風呂吹 正岡子規
黒塚をよぎる蜻蛉の胴焦げて 高澤良一 さざなみやつこ

●怪談
怪談が好きで欠かさず夏芝居 河崎晏子
怪談に女まじりて春の宵 春の宵 正岡子規
怪談のにつと笑へばまだむかな 筑紫磐井 花鳥諷詠
怪談の始まるまでの蚊喰鳥 筑紫磐井 婆伽梵
怪談の後ろ更行く夜寒かな 黒柳召波 春泥句集
怪談の昨日のつゞき涼み台 高浜虚子
怪談の橋は露けし八雲の忌 浜田徳子
怪談はゆうべでしまひ秋の立つ ?
怪談や 僕がK市に避暑した頃ーーー 筑紫磐井 花鳥諷詠
薬屋の地下の怪談かきつばた 桑原三郎 春亂
虎落笛怪談いよいよ面白く 嶋田摩耶子
青芒怪談会の夜あけかな 道芝 久保田万太郎

●河童
いたづらの河童の野火の見えにけり 阿波野青畝
いつまでも文学かぶれ河童の忌 塩川雄三「築港」
おんそはか河童明神夕河鹿 八木林之介 青霞集
かつぽ酒河童に捧げ川祭 竹下一記
さみだるゝ小家河童の宿にもや 石井露月
どんど消え河童の沼の深ねむり 北見さとる
はせ川の河童屏風の雨月かな 竜岡 晋
ほたる火を*つぐみてきたる河童子 飯田蛇笏 霊芝
ほたる火をふくみてきたる河童子 飯田蛇笏
ぼろ市の由緒くはしき河童の図 有馬朗人 耳順
むかし馬冷やせしところ河童淵 鷹羽狩行
下闇や河童と会ひし人の貌 深見けん二 日月
下駄箱に河童がいると思う雨月 平島一郎
不覚なる酔や団扇に河童の絵 鈴木鷹夫 渚通り
亀鳴くや源兵衛堀の河童ども 龍岡晋
人日や河童の皿に灯がともり 小林一子
凶作の白穂を流す河童淵 小川斉東語
初胡瓜河童に二本流しけり 菅原師竹
図書館の片隅を占め河童の忌 丸山景子
夏料理壁に芋銭の河童掛け 川村紫陽
夏料理河童が食べて帰りたる 高見尚之
夏暖簾河童三匹ひらひらす 福田蓼汀
夏逝くと楽焼に描く青河童 斎藤千代子 『朱盃』
夜咄の河童に家族なかりけり 岡崎桂子
山車にのる河童張子に夜霧ふる 八牧美喜子
川びたりの餅にも飽けよ瘠河童 小川芋銭 芋銭子俳句と画跡
川狩や河童の宿も踏み尽す 松瀬青々
数珠玉に風の音する河童淵 阿久津渓音子
新堀の河童の床の魚骨哉 内田百間
春の月河童の沼は照らずけり 成瀬櫻桃子 素心
春著の子乗せ河童舟棹させり 加藤三七子
暖炉燃え河童天国満たしをり 皆川白陀
月の雨河童に酒を買はせけり 龍岡晋
月見草河童のにほひして咲けり 湯浅乙瓶
柳まつりの雨這ふものは河童かな 長谷川かな女 雨 月
梅雨湿り芋銭の河童百図かな 高澤良一 素抱
極楽の文学と別河童の忌 阿波野青畝
榛の咲く潟六ヶ村河童の碑 菅沼義忠 『早苗饗』
永日の河童に逢ひにカッパ淵 高澤良一 宿好
河童(かはたろ)の恋する宿や夏の月 與謝蕪村
河童が渕河童も秋思に耽る頃 高澤良一 寒暑
河童なくと人のいふ夜の霰かな 中勘助
河童に梅天の亡龍之介 飯田蛇笏 霊芝
河童の供養句つゞる立夏かな 飯田蛇笏 霊芝
河童の子河童の親の忌日かな 上村占魚 鮎
河童の川蚊細き脛の子と渉る 萩原麦草 麦嵐
河童の恋する宿や夏の月 与謝蕪村
河童の恋路に月の薔薇ちれる 飯田蛇笏 霊芝
河童の戀する宿や夏の月 蕪村 夏之部
河童の手がけてたてり大魚籃 飯田蛇笏 霊芝
河童の木乃伊もとめん今日の海 丸石 選集「板東太郎」
河童の画一枚掛けて昼寝せり 村越化石
河童の皿濡らせるほどを喜雨とせり 上田五千石
河童の頭濡らせるほどを喜雨とせり 上田五千石「風景」
河童四五葦の月夜にあらはるる 文挟夫佐恵 黄 瀬
河童子にのしかかりたる入道雲 石原舟月
河童子落月つるす夜の秋 飯田蛇笏 霊芝
河童寺自然薯黄葉地を這へり 田淵定人
河童屁の水泡浮ぶや夏柳 安斎桜[カイ]子
河童沼すとんと昏れて遠野寒 曽根とき
河童渕覗けば早し冬の水 関根絢子
河童碑につづく背戸径竹落葉 印南美都
河童碑を囲む沼辺の冬木立 高橋由子
河童碑を残す日射しや広島忌 石川桂郎 四温
河童祭山月これを照らしけり 飯田蛇笏 霊芝
河童絵図藍濃き皿のふぐとかな 西島麦南 人音
河童絶えし村よりキャベツ蹴り上げる 松本勇二
河童達川より上り花見せり 三島晩蝉
沼人に河童月夜といふ寒さ 白岩三郎
沼良夜河童も貌を出しをらむ 石井とし夫
浪裡白跳河童の多見次ほとゝぎす 久保田万太郎 流寓抄以後
浮草に河童恐るゝ泳ぎ哉 萍 正岡子規
涼しさは河童が淵の水のこゑ 鈴木鷹夫 千年
濠の月青バスに乗る河童かな 飯田蛇笏 霊芝
田を植ゑて河童の顔やわらひをる 田中裕明 花間一壺
田作や河童に入歯なかるべし 秋元不死男
田舎では河童が出ます水遊び 岡田久慧
病葉の流るる速さ河童淵 深海利代子
白鳥に河童の村を訊ねけり 大串章 百鳥 以後
神おわす出雲片虹湖に落つ 武中河童
秋うらら河童と馬コの物語 高澤良一 寒暑
秋水の薄手に満ちて 河童譚 伊丹公子 時間紀行
秋立つと河童の墓を尋ねけり 原田喬
種かぼちや荒地にまろぶ河童寺 御子柴光子
竹の主河童百図のちやんちやんこ 椎橋清翠
臍かくす河童太郎や荻の花 鬼頭進峰
芋銭の河童父の河童と曼珠沙華 金子皆子
芋銭河童に踵のありて彼岸西風 神蔵 器
苧殻売る河童来さうな沼の店 町田しげき
菱の実も河童の皿も乾くかな 中原道夫
葭切や河童二人の盥舟 野村喜舟 小石川
蒲の穂に河童出て寝る月夜かな 上村占魚 鮎
蓮根に似たる河童図あたたかし 嶋田麻紀
蓴生う月にうるみて河童の碑 岡崎真也
蹼のごときスリッパ河童の忌 小檜山繁子
酒ありて河童の話出る良夜 杉本寛 『杉の実』
隻腕の河童にあひぬ冬の月 北園克衛 村
青胡桃水盛り上がる河童淵 山野辺恭子
馬に乗つて河童遊ぶや夏の川 村上鬼城
黒南風や河童百図の動き出す 北見さとる

以上
by 575fudemakase | 2013-08-17 04:02 | Trackback | Comments(0)

上海

上海

今月の定例句会に どなたか上海に行って吟行された方がおられる。
それとおもわれる句を抜いてみると以下の通り。
なかなかよく出来ているとおもうのであるが 中では

外灘(バンド)ホテルのディキシー洩るる夏の月  

の句を頂いた。ネットで調べると 外灘(バンド)は上海の有名な街区名らしい。
掲句は唯坦々とした写生句だがそれらしい雰囲気ある句として頂いた。

継橋に大き蓮見て飲茶かな  
万緑の壷の底なる外寝人  
ランタンの灯影もつるる遊び舟  
青パパイヤせりせりと噛む朝の雨  
冬瓜を丸ごと煮込む大家族  

一吟行地を詠んだものとしてはよくまとまっていると思う。

さて この上海であるが 私にとってある一つの思いを誘う。
以下の自句を見ていただければお判りいただけると思う。


上海が出て来て困る鳳仙花 暮津
(*嘗て教科書で学べば 
たたかひは上海に起り居たりけり 鳳仙花紅く散りゐたりけり)

上海が出て来て困る とはあまりにも個人的でマイナーな句であるが小生にとってはどうしても
こう詠みたいのである。たたかひはの短歌は中学の国語の授業で習ったもので、今でも覚えている。
作者は茂吉だったかそれとも・・・? 私に取って上海と言えば鳳仙花だ。

と同時に 鳳仙花と言えば空襲のイメージ。
母から聞いた 横浜 本牧の焼夷弾による夜間爆撃の光景や隣家の異人さんの家の夜家事のイメージが
いつ頃からか頭に棲みついた。

鳳仙花防空頭巾を被る世の 暮津
千人針知る人絶えてほうせんか 暮津

その他の 鳳仙花 の句

第二子もおなごと聞けり鳳仙花 素抱
朝夕の落ち着き来る鳳仙花 暮津
この道は湯屋に抜けらるほうせんか 暮津
また一つ湯屋が潰れてほうせんか 暮津
悲しみは追ひかけてくる鳳仙花 暮津
鳳仙花ほどに晩年弾けたし 暮津
鳳仙花昔はよいことだらけなる 暮津

(季題別高澤良一全句集より)
by 575fudemakase | 2013-08-16 06:35 | Trackback | Comments(0)

落ち穂拾い

落ち穂拾い

●子はすんすん

母として子供の歌をどのように歌ってきたか。私の歌は、従来、一般的にいわれて
いるような、ゆたかで柔軟、胸幅のひろい母性の歌ではないような気がする。
自己犠牲を伴いつつどこまでも相手を受け入れてゆくようなおっかさん的な歌でも
ない。ましてや賢く子を教えさとすような母の歌などからは一番遠いだろう。

子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
頬を打ち尻打ちかき抱き眠る夜夜われが火種の二人子太る
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る


突風の檣(ほばしら)のごときわが日日を共に揺れゐる二人子あはれ
狂ほしく突如かき抱くわが癖(へき)も吾子なれば疑はず二人子育つ


身をかがめもの言ふことももはや無し子はすんすんと水辺の真菰
しろき梅咲く三月(さんぐわつ)は浪人の息子ゐるやも梅の木よ、おい
息子とはこのやうなものか首ひとつ高くなりて釘打ちくるる


新聞のわがエッセイを今回は文章が騒がしいと子が批評せり
母さんと呼ぶのはいつも背後(うしろ)からぼそつと部屋を斜めによぎる

●共同詩実現の場ーーー新聞歌壇

(前略)
大岡信氏は、「現代社会と詩歌ーーーとくに共同制作」という演題のもと、
連歌や連詩の実作体験に即して、詩歌の種々相をその特質に迫りながら語った。
氏によると、短歌や俳句人口の多さは、何よりもその詩型の短さによる。
短いから、多くの人が作ってみる。短いから各々の作を持ちよって見せ合うこと
ができるし、すぐに批評が返ってくる。作品を見せ合い、批評し合うこのような
場が自ずからひとつの共同制作の場を作ってゆく。
私は今まで、短歌や俳句が「座の文芸」としての一側面を持つことや、他の文芸
のジャンルにはない結社という制度をもつことを、詩型を始点として考えたこと
はなかった。しかし、短いという詩型の側から、作られる場と、その制度を要求
するのだという指摘は新鮮だった。このような大岡氏の話を聞きながら、私は座
の文芸としての短歌の共同制作の場を、新聞歌壇のうえに重ね合わせることも可
能だと考えていた。多くの人が参加し、自分の作品を見せ合う場。すぐに返って
くるはずの肉声の批評は聞けないかもしれないが、選者の活字の選評はある。
個々の投句者たちは、自分の歌だけを見つめ、ただ一人の選者に向かって投稿し
ているように見える。しかし、そうではないのかもしれない。投稿者たちは、新
聞歌壇という大きな開かれた座へ、共同制作の場へ自分の歌が参加し、迎えられ、
そこで集団のハーモニーの中に溶けこみつつ、自分たちの一首一首が輝くことを
知っているのだ。
投稿者だけではない。一般の読者たちも、読むたのしみを携えてこの座に参加する。
私は、選歌している時もそうなのだが、活字になった自分の選んだ歌を読む時は、
必ずその作品の中に、自分の半身を入れているのを感じる。私が選んだ歌は、作者
を通りこして私の歌になってしまうのである。
新聞歌壇という場を、個は個の歌でありながら、より普遍的な集団の声を響かせる
共同詩実現の場として大切にしていきたい。

(平3・6・21)

(河野裕子「体あたり現代短歌」時評より)
by 575fudemakase | 2013-08-15 10:38 | Trackback | Comments(0)

うたの歳時記より

うたの歳時記より

河野裕子「うたの歳時記」よりの共鳴歌をメモしておく

●年の暮

みぎひだりみぎひだりせる大振子歳晩の空に見えゐしが消ゆ 河野裕子(『体力』)

●桜の歌

土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ 河野裕子(『ひるがほ』)

小生句で似たところと言えば

鎌倉は若葉曇りでデデッポウ 随笑

●日本酒

昨夜ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚きし妻は何者 宮柊二(『晩夏』)

●秋の虫

にんげんをやめたいなあとおもうから人間なのかオンブバッタよ 吉川宏志(『海雨』)

●葱 にんじん 菠薐草

にんじんの泥をおとしてにんじんの色があらわる人参色が 沖ななも(『ふたりごころ』)

赤い根のところ南無妙菠薐草 川崎展宏(『秋』)
八月は南無菠薐草の値が高く年中同じ値のもやしの棚へ 河野裕子(『季の栞』)

以上
by 575fudemakase | 2013-08-14 12:11 | Trackback | Comments(0)

猛暑日

猛暑日

ここ連日猛暑日が続いている。今夏最高気温日を更新している。
猛暑なれば秋風など秋立つ日をこころ待ちにしているのも事実。
その思いや切である。

現に、巷では八百屋に梨が出始め 速くもその滴る味を賞味している。
秋よ来い♪だ。

折しも 河野裕子の「うたの歳時記」を読んでいる。

●夏と秋行きかふ空のかよひぢはかたへすずしき風やふくらむ 凡河内躬恒

詞書に「みな月のつごもりの日よめる」とある。旧暦六月の最後の日。
夏が六月三十日で終り、七月一日からは夏が始まるというのだ。
六月三十日の夜中に空のかよい路を夏と秋が行き交い夏が去ってゆく。そうして片側には涼しい秋の風
が吹いているのであろうと作者は詠む。

●秋草文(あきくさもん)自在に壺にそよぎおり気圧洋上みだるる夜半(よわ)を 玉井清弘(『風箏』)

当歌には、壺の秋草の風と、作者の周囲の風と、はるか洋上の三つの風が吹いている。
それでいて、しんと不思議に静かな印象を残す。

現下の気象状況も、唯猛暑のみではなく上歌の様に 大気不安定でいつ大夕立が襲って来るやも知れぬ塩梅で
ある。

さて小生の「秋来ぬ」関連句は次の通り(季題別 全句集より抜粋)

立秋 秋立つ 秋に入る
   秋来る 今朝の秋

立秋の影のごと出て帆の一つ ねず
秋立つと丸々肥えしモモスズメ もも
木斛の葉っぱぴかりと秋がくる さざ
人間に雲脂といふもの秋立ちて ぱら
金澤文庫
忍性の赤鼻に秋立ちにけり ぱら
立秋と云はれて空の海のいろ 鳩信
ヤブニッケイ大樹自尊の秋立てり 鳩信
秋来るといふ目を鹿のしたりけり 燕音
それとなく秋は来にけりポタァジュに 随笑
堰とどろ山に秋くること早き 素抱
起きあがり小法師ゆらゆら立てる秋 石鏡
立秋の掛け声ばかり臍のゴミ 暮津
一歩づゝ秋来る空とおもひけり 暮津
いと白き落蝉の腹秋立ちぬ 暮津
今朝秋の踝汚し戻りけり 暮津
今朝秋のモーニングコーヒーブラックで 暮津
秋来たり木々の陰翳礼讃す 暮津

(「ねず」は句集「ねずみのこまくら」、「もも」は句集「ももすずめ」、
「さざ」は句集「さざなみやつこ」、「ぱら」は句集「ぱらりとせ」の略。)

●秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる 藤原敏行(『古今集』)

これに対するに小生の挨拶句は以下

目もさやに秋は来にけり牛蒡の葉 素抱


以上
by 575fudemakase | 2013-08-13 04:18 | Trackback | Comments(0)

河野裕子の時評

河野裕子時評

河野裕子の「体あたり現代短歌」(角川学芸出版)を読んでいる。
目に止まったところを幾つか書き抜いておく。

●面白い歌ーーー小池光「日々の思い出」

「現代短歌・雁」二号の中では、小池光の「日々の思い出」が面白い。
今月読んだ総合誌、結社誌等の中でも、格別に面白い。これは、「日付
のある作品、十月の歌」ということで、十月一日から三十一日までの作
品を一首ずつ、という構成である。(中略)

暑のなごりほのかに曳ける石のうへ秋のかなへびは戦ぐがにゐる 
札びらを数ふる如く書き上げし原稿紙数を数ふるあはれ
けふわれは元気にて声に余力ある授業をしたり「コリオリの力」
夕暮るる雨の一日や革靴の量(かさ)のふくるるその中の足
衰へのみえたる芝のやさしくて手をつけば素足になれと芝が言ふ
笑ひ声絶えざる家といふものがこの世にあるとテレビが言ひぬ
三丁目の白い家といふまぼろしを抱き初めたる九歳(ここのつ)あはれ
佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず

(中略)
小池光の歌がもっている、犀利な批評精神と、かいぎゃく味の根拠は、
自他に対する視線の遠近法の確かさにある。一方的に理づめで作品を
読ませる強引さが、小池光の歌にはない。札びらの歌で見たように、
読者の側の読みの幅をゆったりと許容しつつ、作者自身もその振幅の
幅をたのしんでいるところがある。そういう柔らかさ、軽さが、きわ
めて今日的な歌であるという印象を与える。
詳しく調べた訳ではないので、断言はできないけれども、批評語とし
て、面白いということばが、これほどよく使われたことは、今まで無
かったのではないか。現に私も、ここまで書いてくる間に、四回も使
っている。ひとことで括って評価できない、いろいろな要素、味わい
のある歌を面白いということが、私の場合は多い。加えて、読者を楽
しませながら読み進ませる力。楽しく歌を読む。こういうことは、こ
れまであまりなかった。よい歌を読んで感銘を受ける、という歌の読
み方から自由になって、いろいろな読みのヴァリエーションを楽しみ
、面白がるという読み方。さしあたり、小池光の歌は、そういう読者
の側の欲求を満たしてくれる歌の最右翼であるといえよう。

●素人選者は困るーー

日本人には有名病というのがあって、有名人の発言にたやすくなびく
傾向がある。有名人選者の鑑識眼が、鵜呑みにされるのをおそれる。


●先端を走るーーー「ミツビシボールペン」と「佐野朋子」

「業界向けの歌」と題して、佐々木幸綱が「現代短歌・雁」十号に時評を書いている。
業界向けの歌とは、歌壇の消息に通じている者に受ける歌、つまり玄人向けの歌のこ
とを指す。佐々木は、業界向けの歌として、次の二首をあげている。

ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く 奥村晃作
佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず 小池 光

これが、プロの歌人が作った歌かとだれしも思うだろう。何というふざけた歌だと
言うにちがいない。プロの歌でありながら、一見、素人でさえ、へたな歌だと一蹴
してしまうような歌。しかし、このような傾向の歌が、大いに議論を呼んでいるの
である。技巧をこらし、短歌らしさを追うあまり、袋小路に入りこんでしまったの
が現代短歌の一様相であるなら、そこに風穴をあけるための、一試行ともいえよう。
あえて、歌らしくない歌で挑戦してみようというわけだ。
(中略)

『日々の思い出』から一首ひく。

日の丸はお子様ランチの旗なれば朱色の飯(いひ)のいただきに立つ 

●俳句でぼけさせてもらいますーーー坪内稔典・永田耕衣

〈俳句でぼけさせてもらいます〉という小見出しのある座談会「蛍雪時代の男たち」
(「塔」4月号)で、俳人の坪内稔典が、次のような発言をしている。
 「最近僕は『ぼけ俳句』ということを言ってるんです。老人たちの俳句はどこが
  いいかというと、ぼけてるからいいんだ、と。けったいな俳句がいろいろある
  んですよ。コーヒーが何度も出てきたら、そのコーヒーは猪だった、とかね。
  永田耕衣が作ってるんです(笑)。『出没の珈琲を猪と思いけり』というのだ
  ったかな。こういう感覚は、僕はぼけだと思うんです。
坪内の発言をうけて、歌人の小池光の応酬が面白い。
 「それは俳句の偶発性、偶然性によるものだな。短歌では七七で、なぜコーヒーが
  猪か解明せねばならないでしょう。そこでボロが出ちゃう。(略)短歌では非常に
  聡明に冷静に老いてゆかねばならないんだね(笑)」
俳句の、ぼけに対して、短歌の聡明冷静。部分的にではあるが、この二つの詩型の特徴
を言いあてた表現だろう。俳句では、カタコト的に言い放しのまま終わってしまっても、
表現の体(てい)をなすが、短歌ではそうはいかないのである。
先日私は、担当しているカルチャー教室で題詠の宿題を出した。相聞歌を二首。年齢性別
にこだわらず、虚構の世界で大いに遊んで作って下さいと念を押した。

次の世もわれを娶れよ君の辺に飯(いい)たき鳥飼い花を育てむ 白岩ゆり
二人して未来を語る約なるに猫の話の尽きずなりたり 中筋秀夫

二人共、伴侶が無く、七十歳を過ぎた人たちである。提出歌には大らかにぼけた歌は皆無
だった。下句七七が、短歌でぼけることを許さないのである。短歌には、上句で言ったこ
とを七七で読み解いて見せ、判断力を働かせながら結句へ着地するという所がある。それ
が歌におけるぼけを阻んでいるのかもしれない。

●言語感覚ーーー歌集のネーミング

「シュガー」「びあんか」「コットン・ドリーム」「サニー・サイド・アップ」
ーーー二、三十代の歌人たちの話題の歌集である。軽やかな、しゃれたネーミング
である。順に日本語に直してゆくと、「シュガー」(松平盟子)は、砂糖のほかに
俗語で華麗という意味。「びあんか」(水原紫苑)は、イアタリア語で白の女。
「コットン・ドリーム」(岡部史)は、綿の夢。「サニー・サイド・アップ」
(加藤治郎)は、目玉焼きの意味だという。このようなネーミングに、こんにちの
若手歌人たちの生き方や、言語感覚の反映を見ることも可能だろう。これらの歌集
名は、必ずしも歌集の内容を象徴したものではない。 どちらかというと、内容や意味
よりも、フィーリングを優先させているところが、いかにも今日的に思われる。
(中略)
私はどのように生きたいのかという、自分自身への問いかけに対する答えを、歌集名
としたのである。大仰に言えば、歌集名は自分の生き方や歌集の内容に対する責任の
取り方でもあった。このような気まじめさは、ひとり私だけのものではなく、ごく普
通のことだった。
生まじめに歌を作り、生まじめに歌集名を考える。大方の歌人たちの態度であろう。
しかし一方では、その生まじめさを少しずらしたところで、若い人たちの歌は作られ
ているような気がする。

●気品と顔ーーー河野愛子の死

河野愛子が亡くなった。八月九日朝、六十六歳だった。自らの内に抱えこんだ〝死〟
という核を見つめ、終生それをモチーフとして歌い続けた歌人であった。それは、
若い日に肺結核を発病し、長い病臥生活の間に、常に死と向きあって生きることを余
儀なくされたことに因るものであろう。(中略)

河野愛子は、自身の死と同様に、他者の死に対しても鋭すぎるほどの感受性をもって
いた。それは、死というフィルターをすかして見たときに、他者が最もよく見えると
いう特異な感性と、観察眼の持主であったということでもある。死を覚悟した歌が「
歌壇」九月号に発表されている。

胸底に死をばひそめて相逢ふや一人二人と笑顔忘れじ 
吸呑のかたち見をれば今日もまたわが残日に向きて黙せる

河野愛子の歌には、大らかな豊かさのようなものは無かったが、寂しくさめた自意識
の中からつむぎ出された作品には、比類ない気品があった。私の最も好きな歌人のひ
とりであった。

●華やぐいのちーーー老いの歌


殺生石を背景として一人しゃがみ五人立ちたり皆老いし顔 清水房雄
食ひ好む意欲もうすれ老いさびて淡き食事にわれの親しむ 谷 邦夫

暦日の老い蹴飛ばさむ靴買ひて歩けり京の四条五条 伊藤美津世

●時流にのらずーーー

読者に迎えられること、時流にのることに、歌人たちは神経を使いすぎだ。
半年間、この時評欄を担当するために、ふだんより多くの歌集や評論を読
んだ。その率直な感想である。読者あっての歌人という一面はたしかにあ
るがしかし実作者は作品の磁力、吸引力でもって読者をひきつけるべきで
ある。読者の好みにあわせて作品を作るべきではない。

---------------------------------------------------
此処にもや時流に乗らぬ水馬 高澤良一 寒暑
by 575fudemakase | 2013-08-07 02:50 | Trackback | Comments(0)


俳句の四方山話 季語の例句 句集評など


by 575fudemakase

プロフィールを見る

カテゴリ

全体
春の季語
夏の季語
秋の季語
冬の季語
新年の季語
句集評など
句評など
自作
その他
ねずみのこまくら句会
未分類

以前の記事

2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2011年 04月

フォロー中のブログ

ふらんす堂編集日記 By...

メモ帳

らくらく例句検索

インターネットの「Google」や「yahoo」の検索ボックスから、季語等を入力して数多くの例句を得られれば大変便利である。

具体的に季語“新樹”の例句を求めるには、先ず検索ボックスに“新樹”と入力する。
その後、ひらかなで“れいく”と入力する。この時、日本語変換候補に幾つかの語彙が表示されるが、その中から“575筆まか勢”を選択する。
この結果、検索ボックスには “新樹575筆まか勢”と表示される筈である。
この用語で検索すれば求めるサイトが表示される。

但し、上述の ひらかなの“れいく”と入力して“575筆まか勢”を選択する為には、事前に小細工をしておく必要がある。
即ち、ユーザーズ辞書を使って “れいく=575筆まか勢”を定義しておく必要がある。以下はその指定方法。

ユーザーズ辞書定義

▼iPadの場合
設定>一般>キーボード>ユーザーズ辞書

単語 575筆まか勢
よみ れいく

▼kindleの場合
アプリ>設定>言語とキーボード>キーボードの設定>ユーザーズ辞書

読み れいく
表記 575筆まか勢

PCの場合も同様に「ユーザーズ辞書」機能を使い、前もって定義しておく。

春の季語から現在の当季季語までは既に表示可能である。
来年の三月末(2015年3月末)までに全季語について表示可能となる。

以上

検索

タグ

最新の記事

初夏である
at 2017-05-27 16:49
夜半と比奈夫
at 2017-05-27 13:08
冬瓜 の俳句
at 2017-05-25 06:58
新酒 の俳句
at 2017-05-25 05:41
後評(2017・5)
at 2017-05-21 03:08

外部リンク

記事ランキング